Far Cry 3のエンドロールが長すぎる
Far Cry 3をクリアしたらエンドロールが恐ろしく長かったんですよね。
(エンドロール始まり)
(30分後。まだ続いてる…!)
なんか異様に長いって聞いてたんで、まあ飛ばせるんだけど敢えて飛ばさないで見ていたら、終わるまで30分以上もかかってた。
単純に膨大な人数が関わってるってのもあるだろうし、工夫せず1カラムで表示してるから無駄に時間かかってるんだろうし、コンソールゲームあんまりやってないから知らないけど実はこれが普通なのかもしれないし、ほんとにそんな役職の人まで表示する必要あるのかってのもあるのかもしれない。
しかしなによりたぶん開発元の誰もこれを見て確認してないからこうなってるんじゃないかって気もする。クレジット載せるのが大事なら、俺の名前出てくるまで25分もかかるよ!って文句も出そうな気が。でもこれが1時間半続いたら「映画に匹敵する長さのエンディング!」ってなってアート的に良いと思う。
箱庭ゲームのお葬式
inaLさんがワールド・ネバーランドという箱庭ゲームで、友人の名前をつけて登場させたNPCが死んで葬式に出席した話をしていて、このゲームやったことないけど葬式があるのはすごいと思いました(笑ってしまうのもすごく分かる)。
箱庭ゲームということではThe Simsシリーズのファンなんですが、あれだと明確な葬式って無いんですよね。一応誰か死んだ後に葬式パーティーってのは開催できるんですが。葬式でパーティー…? さすがは欧米だ、っつうか、バースデーパーティーとか結婚パーティーとか出来るゲームなんで、まあ単にゲームとしてパーティー開催できる機能を利用してるだけの実装だとは思うんですが。映画だとよくカットが切り替わってみんな黒服に身を包んで棺を埋葬してて、えっアイツ死んだの?的なシチュエーションも多いし、ちゃんと作るならそういうイベントにするんじゃないかなと(どうでもいいけど、最近見たえっアイツ死んだの?展開はクロニクルという超能力映画)。
というかSimsだと死んでもすぐにメモリからは消えず、墓石オブジェクトを住処にして夜な夜な幽霊として出てきます。その墓石を削除した時に本当にメモリ上から消えるという感じ。条件次第で生き返らせたりできるし。だからちゃんと葬式やらないのかもしれない。
あとWizardryなんかだとキャラクタのロストっていうのがキャラクタを格納している訓練場から登録を抹消することであって、ゲームキャラの死って要はメモリ解放だったり、よく言われるような「その人のことを覚えている人が誰も居なくなった時が本当の死だ」ってのも、参照の切れたオブジェクトをメモリ上から削除するガベージコレクションだったりとか。ゲームキャラの死とか言うとナラティブ方面で小難しくてめんどくさいけど、まあテクノロジで作られたビデオゲームの場合はそれ自体はまずテクノロジで説明できるだろうなと。
で、箱庭の葬式の話。死というよりは儀式、イベントについて。まあやっぱそれまでの積み重ねと交友関係が総括されるのがいいのかなと。ウイニングポストとか競馬ゲームの引退式も、勝ったレースの一覧や、調教師や主戦騎手がコメントをくれたりするの、単にデータを出してるだけなのにいいんですよね。ただのデータだけど、自分がそこに立ち会ってる感。
ダンサーインザダーク
このあいだ耳が聞こえない作曲家話と高まる創作実話の気運を受けて、
「耳が聞こえなければ創作実話を聞くこともなかったし、目が見えなければ創作実話を見ることもなく、口がきけなければ創作実話をさえずることもなく、手が動かなければ創作実話を綴ることもなかった、という生き様を描いた創作実話」
と書いてみたら
「ダンサーインザダークっぽい!」
って言われて、ああそういう話だったんだって改めて思った。
低レベルな料理漫画が読みたい
パンって腹持ち悪いなと思ってずいぶんパン食ってなかったんですが、久々に食パンを買ってみて食べたんです。バター塗って、トーストして、ジャム載せて。これがまあ美味いのなんの。
で、焼くの面倒だから生でもいっかって思って食べてみると、まあ不味いんですよね。すごい。加熱することで香ばしくなって美味しい。
そういうプリミティブな感動を美味しんぼスタイルで描いて欲しい。
「パンを、焼いただって…!?」
「なんちゅうもんを食わせてくれたんや…! カリッとした歯ざわり!この香ばしさ!」
「まあ!」
「むぅ…」
ブログりたい
MSRkbさんが最近ゲームへたおじさんドットコムというブログを更新されていて、まあなんというか今の時代に、ブログが、更新されている…!!という妙な感動を覚えてしまってなんとなくブログりたくなりました。
自分ではMiyaoka Noteという主にゲームの話を書くブログをやってるんですが、自分的な意識としては「スクリーンショットをメインとして、テキストはあくまでキャプション」というスタイルです。それはなんでかっていうと、ゲームはまず解説文章とかより画面の情報量が一番重要であって、百聞は一見にしかず、プレイ動画を見せないゲームのPVは滅びろ!とか、スクリーンショットの小さいゲーム紹介記事にイラついた経験があったから、だったような気がします(あくまでゲームの紹介が主目的の場合)。
なんですけど、まあそれだと手間かかってちょっとしたこととかあんまり書けないんですよね。もっとさくさく文章だけでも書ける場所も欲しいよなと。で、今度は文章だけ書くとそうしたあくまで画像がメイン、文章はサブという言い訳的なスタイルも使えないので、後で見なおしてうーんやっぱボツ、ってなりがちだったりで。
じゃあTwitterでいいじゃない、ってなるじゃない。でもそうじゃないんですよね。やっぱTwitterだとSNSだから、フォローフォロワーとのコールアンドレスポンスっていうか、発言の立ち位置振る舞いTPOとかあって、まあ文章上手い人ならそのへんの政治的駆け引きも加味して炎上スレスレにミディアムレアに仕立てていったりですけど、そういうのだとそういうのがメインだよな的な。
で、最近やってるのはaudioBoo。音声版のTwitterみたいな感覚で、無料版だと1エントリ3分までなら使えるっていうか、むしろその3分制限がいい感じです。短くてあんまり話せないんですけどね、これが長いとね、聞く方も大変なんです。それはいつもイダテンさんと2時間くらい喋ってるPodCast @IDA_10 x @miyaokaのピコピコキャスト で感じていたところなんで、ちょうどカウンターカルチャー的に3分PodCast、いいじゃない…!って思いました。まあaudioBooもSNSなんですけどね。現状だとすごく小規模なんで、王様の耳はロバの耳的な穴ぐら感がアングラ感っていうか。
あと、日記。個人的な日記は昔2年ほどノートに記録して、今はまたEvernoteで2年くらい記録してます。iPhoneで撮った写真と、出来事の事務的な記録と、いろいろな感想のまとめというスタイルで。インターネット界隈で日記っていうとどうしてもウェブに公開する日記という意識が強かったんですが、非公開日記だと人目を気にしなくていいのでほんと自分にとって面白い読み物です。あのときはこう思ったんだとか、こういうこと考えてたんだとか。まあそういうこと、数ヶ月もすれば忘れるものなので、昔の日記を読むと自分のことがすごく第三者視点になって、TPS視点で、なるほどって感じで。
Twitter以降になって相対的にブログに時事性が薄れてアーカイブ性が高まって、 まあたぶん、そうした時事とアーカイブの中間くらいの立ち位置がいいのかなと。なんか時事ネタ見て、そういやこれはこうだったな、的な思い出し関連付け話とか。たぶんそういうのを書きたい年頃なんだと思いました。